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鉄道車両史3   自動車運輸史4

戦後復興時代の車両 一
昭和20年7月1日の空襲で、電車29両中11両、貨車18両中8両を失う。終戦を契機に輸送形態が大きく変り、旅客の輸送力増強を図るため、あらゆる手段を講じ、車両の装備に全力をあげることになる。
電気機関車
戦後、電車で貨車を牽引出来たのは7両、運転制限や多客のため客車を連結して旅客の輸送を行った。そのため、貨車の牽引まで余裕がなく、期限指定の緊急輸送物資の輸送に支障を来たした為、電気機関車3両を、昭和21年5月鉄道省の認可を得て、同年6月駐留軍熊本軍政府より借り受け、EB1型、1〜3号を付番した。
電気機関車の導入は、菊池地方の貨物輸送に又、商業開発の上に相当の期待が寄せられていた。
昭和21年 米軍政府より借用した電気機関車
 
戦後復興時代の車両 二
戦後における復興は容易ではなかった。戦争により車両や施設の傷みがひどく、増加する乗客に対してトロッコ列車の運行や電気機関車による客車牽引、車両の増備、改造などで輸送力増強を図った。
 施設面では、昭和22年10月北熊本変電所が完成。同年12月には堀川〜須屋間の改良線が完成、前後復興も軌道にのり、昭和23年1月1日、熊本電気鉄道株式会社に商号変更した。
 昭和25年10月1日、上熊本〜 北熊本間、北熊本〜 市立校前間が開通、北熊本駅も同時に営業開始した。
モハ13号・14号
昭和4年5月宇部電鉄が開業にあたり新製し、昭和18年5月に国鉄に引き継がれた電車2両、国鉄番号をデハ1型1号、2号を譲り受け、我が社ではモハ13号、14号と付番した。車両の状態は永らく放置してあったため傷みがひどく、修理に相当の費用を要した。
 13号は使用開始後、故障がちで数ヶ月で休車状態となった。14号は水害まで市内線で使用されていたが、軌道線廃止後、昭和31年工作車の2代目モコ1号となった。

昭和25年 国有鉄道より譲り受け市内線で使用したモハ14号
(後番号は作業台を付けて架線改修用の電動工作車モコ1号に変更)
昭和22年(1947)〜昭和28年(1953)
昭和 22. 10. 1 北熊本変電所竣工、送電開始
    12. 28 堀川〜須屋間改良線開通
  23. 1. 1 熊本電気鉄道株式会社へ社名変更
  24. 4. 1 市立校前〜亀井間改良線開通、北熊本駅営業開始
室園駅(旅客取扱)廃止(市立校前〜室園間出入庫線とし存続)
  25. 9. 30 上熊本〜北熊本間運輸開始認可入庫線として
    10. 1    同上   営業開始
  26. 10. 25 藤崎宮前新駅営業開始
  28. 3. 15 打越停留場旅客取扱開始
    6. 26 熊本大水害、菊池川橋梁流失軌道線運行休止
(上熊本〜藤崎宮前間)
    12. 1 軌道線(上熊本〜藤崎宮前間)
運輸営業廃止認可(昭和28.8.5申請)
 
二度の大水害
昭和28年6月26日、未曽有の大水害に見舞われた。25日から26日にかけて、熊本県北部一帯を記録的な集中豪雨が襲い、菊池川・白川をはじめ大小の河川が氾濫し濁流に襲われた。
 深川ー広瀬間の菊池川鉄橋流失、北熊本ー上熊本間のトンネルの両入口で崖崩れ、市内線は泥土で埋まり、全線が運転休止となった。
室園車両工場は1.5 メートルの浸水で、郊外線用電車は12両中7両、市内線用電車は4両中3両、客車は6両全車が浸水し使用不可能となった。水害車は年内には復旧したが、市内線3 両は市内線の営業廃止と共に廃車となった。
 線路の被害は道床流失・線路埋没と破損など約20箇所におよんだが、菊地川鉄橋の流失が最大の痛手であり、鉄橋が再び竣功されたのは水害から2年半後の昭和30年12月1日、全線が復旧したのは同月25日であった。
昭和32年7月26日、再び水害に見舞われた。池田隧道の出入口が崖崩れで埋まった他、合志川が氾濫し、橋梁第7・8・9号の橋脚基礎部分が洗掘浸食され危険状態となり、電車運転を一部休止。
高江ー泗水間は約2ヶ月間バスによる代行輸送が行われた。

30.11.30

28.6.26 上熊本 − 池田間0.8q
池田停留所付近の崖崩れ現場(昭和32年)

26日 12時過ぎ は広瀬駅で折り返し運転となる。
広瀬 − 隈府間は運転休止。
  15時50分頃 菊池川鉄橋流失。菊池川北岸の堤防が決潰し、広瀬駅 − 深川停留所間が浸水。
  16時40分頃 北熊本 − 上熊本間のトンネル両入口上部の崖崩れが始まり、市内線京町口停留所附近も崖崩れと線路浸水で運転休止。
北熊本 − 亀井 − 八景水谷間も線路浸水し、北熊本 − 堀川間運転休止。
合志川も増水で鉄橋不通となり合志川北岸 − 広瀬間は電車1両の折り返し運転となる。
  17時00分頃 北熊本 − 上熊本間運転休止。
  17時10分頃 連絡バス2台も運転休止、北熊本 − 堀川間は交通遮断された。
  17時43分頃 全線に運転休止命令発令。
  21時20分頃 本社事務所に浸水が始まる。
  27日 0時頃 本社事務所2メートルの床上浸水
27日・28日 両日に渡り電車全線運転停止
 
近代化時代の車両
市内線(上熊本 − 藤崎宮前)は昭和28年6月の大水害で埋没し、復旧困難で運休のまま昭和29年6月に廃止。  昭和33年8月1日菊池町( 昭和31年9月隈府町より菊池町となっていた)が菊池市となったので、駅名を隈府駅を菊池駅に、菊池駅を富の原駅に変更した。
 昭和34年2月末、現在の本社事務所が完成。建物は熊本駅北側にあった旧熊本鉄道管理局の局舍を移設したものである。
 昭和30年3月高江駅と富停留所間に新設した泗水駅が営業を開始、同時に富停留所は廃止された。
 御代志 − 大池間の新線が竣功し、昭和34年10月1日より運転を開始。
 昭和25年10月市立高校前 − 北熊本 − 松崎間の新線が開通した時に車庫移転を決定。昭和37年に北熊本駅西側の田圃を埋立て、昭和38年末には工場及び線路や電気施設が完成。翌昭和3 9 年1月より機械設備の移設を開始し3月末に移転完了した。
上熊本線で活躍した当時のモハ71号

2009年、内装・外装ともにレストアされた71形71号
昭和29年(1954)〜昭和47年(1972)
昭和 29. 3. 9 倉庫線(市電車線と共用三軌条式)敷設認可
    6. 1 軌道線営業廃止
    10. 1 倉庫線熊本市電と共用開始
  30. 3. 10 泗水駅新設営業開始、高江駅を停留場へ変更、富停留場廃止
    10. 18 電車集電装置をポール式からパンタグラフ式へ変更
    12. 1 韓々坂停留場新設旅客取扱開始
      菊池川橋梁完成
(広瀬〜隈府間直通運転)
  33. 8. 1 菊池駅を富の原駅へ、隈府駅を菊池駅へ変更
  34. 10. 1 御代志〜大池間改良線竣工営業開始
藤崎宮前〜菊池間70分運転を60分運転に短縮
御代志駅営業開始、大池駅を停留場に変更移設
  36 4. 1 富の原駅を停留場に変更
  38 4. 1 御代志駅を停留場に変更
  39 4.   北熊本車両工場竣工
(昭和39.2室園より移転)
  40 7. 19 隈府〜山鹿間(未成線)軌道運輸事業廃止認可
  40 10. 16 再春荘前停留所開設
  41 7. 6 上熊本倉庫線廃止
  47 4. 1 小口扱貨物営業廃止
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